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片山和則のワンポイント論文

片山和則講師のワンポイント時事問題
 
(プロフィール)
中央大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了
現在、順天堂大学保健医療学部講師
担当:憲法、国際関係、政治学
 
☆私、片山がこのコーナーを担当します。宜しくお願いします。
このコーナーでは、執筆のコラムを織り交ぜながら小論文の評価を行ない、論文作成につなげていくものです。
 
☆米輸入の自由化について述べなさい。(基本レベル)
 
  リカードは、「比較生産費説」によって自由貿易の利点を強調し、19世紀前半のイギリスの「穀物法」反対の武器とした。ここから、各国が、自国の優位にある産業に特化することで、生産・交易を
行なっていこうとする国際分業が始まった。しかし、国際分業は1970年代後半より、激化していく貿易摩擦、経済制裁等を引き起こしたため,日本では「現地生産」を中心とする回避策をとりながら、産業のグローバル化が進んでいった。
  「コメ」は、日本にとって特殊な商品である。つまり、①主食品であること、②天候に生産が大きく依存すること、③生産に長い期間かかること、④生産用地の確保が困難なこと、⑤農業生産者の養成の問題など、多方面に渡る問題を抱えている。これらのことを踏まえて、賛成・反対論を示す。賛成派は、ウルグアイラウンドによる農業合意、つまり、農産物の輸入自由化の促進を背景に、国際分業の立場から「コメ」自由化に賛成をしている。すなわち、国際要請を受け入れることで経済摩擦を避けるとともに、安いコストの「コメ」を輸入することは、国際的立場、国民の「コメ」購入の価格低下、政府負担の軽減に都合がよいというわけである。
  一方、反対派は、「コメ」は日本人にとって必要不可欠な特殊商品であるため、外国に頼るのは危険だとしている。その理由として①食料品の外国への依存率が高いと、これを戦略的手段として使用され、経済制裁を受ける可能性がある点、②天候異変のよって海外からの農産物輸入がストップする可能性がある点などをあげている。
以上が賛成・反対の両立場からの意見である。私自身の見解としては、両立場をとることが必要であると考える。つまり、輸入策を採用しながら国内の農業生産基盤をしっかり確保し、「食糧不足」言い換えれば「食料危機」の起こらない農業政策を行うことが大切である。
 過去に、冷夏により「コメ不足」が起こったが、その時はコメの緊急輸入を図って不足をカバーした。これができたのは、海外に余剰生産コメがあったからであり、本来輸入策をとっていなければ、コメ不足が生じたからと言ってすぐに海外から輸入することはできない。今日、地球環境汚染がひろがり、いつどこで天候異変が起こってもおかしくない現在、コメの輸入策をとることは免れないであろう。また、国内における確保の点では、「小さな政府」をめざしている政府にとって、食料確保のための予算は政策に矛盾するとの意見もある。しかし、余剰の生じる場合は、国際食糧援助の一つとして食糧不足国へ送るというのも、国際貢献として意義あることだと考える。
 
☆片山コメント:
 
コメ輸入の自由化について、自由貿易の歴史、現代における比較優位に関してメリットををあげながら、書きだしを書いているのは、評価できる。コメについて特殊商品であることを論じているのはよい。ただ、コメが特殊商品である理由として、コメを中心とした農業政策には、政府の政策と農協団体の要請といった農業トライアングルの構図があることの説明が欲しい。また、コメの緊急輸入について、各国と自由貿易協定を締結することによって、この問題は解決できるのではないかと考える。そのように考えるとコメの輸入について賛成か反対かの立場をはっきりとさせて論じた方が論に説得力があると思う。
 
 
☆コラム(1): ワークライフバランスの概念を問い直す
 
ライフワークバランスとは、現代日本で仕事と生活のバランスを図ろうとするもので、仕事と生活を両立させ、どちらも犠牲にしない社会作りのこををいう。広義の意味では生活は仕事をその一部に含む概念である。しかし、単純に仕事と生活は二項対立関係で捉えることは難しい。だが、日本でワークライフバランスは、生活と仕事を分離し、他の生活領域と対立的な関係としている。ワークライフバランスの「ライフ」は①心身の健康②家庭生活(育児・介護)③私生活(友人と過ごす時間)や仕事以外の活動(社会活動や学業)に分けて捉えることが望ましい。③は仕事以外の社会活動、これは仕事とは異なっても自分に楽しみを与えてくれるものである。自分が楽しいうちは参加できるし、いつでも辞めることが可能である。だから、ライフつまり、自分にやすらぎを与えてくれるものである。言い換えれば①と結びついている。とくに、独身の人や子どもが独立した人の生きがい作りになっているものである。そのため「ライフ」に関しては、心身の健康と家庭生活に焦点を当てたものと捉える事になる。現状において仕事と介護、子育ての両立に直面している多くの女性がいる。しかしながら、男性もまた同じ状況に直面する可能性も高まっている。特に介護に直面する労働者の多くは中高年期であり、管理職的な地位に就いていることも多い。管理職という立場上、常に責任が問われることになり自身の都合で職務を優先せざるを得ない場合も多く、男女を問わず仕事との両立が難しく就業中断などがありえる。
 以上のことから、少子高齢化・家族規模の縮小に伴い介護に直面する労働者の増加により、仕事と家庭の両立が性別や年齢を超えて広がることになる。保育サービスや終末期医療の充実により仕事と家庭の両立支援が拡大されて就業できるようになった女性も多い反面、終身雇用・年功序列賃金といった日本企業の特性が失われたことによる働き方の変化、家族の変化により就業継続が難しくなった女性も多い。さらに、日本企業特有の長時間労働のため女性の出産・育児期の就業継続、男性の家庭生活への参加そして介護期の就業継続のいずれも難しくなっている。就業中断はその後の仕事の処遇だけでなく、経済負担やメンタルヘルスにも悪影響を与える可能性が高い。このような中、労働時間の短縮の必要性に直面する労働者は今後増えるだろう。ただし。日本では、労働時間が健康との関係で問題になっているというよりも家庭生活との両立で問題になっている。そのため、地域との関わりや趣味の活動等、具体的な生活に即して労働時間の短縮、仕事と生活の中での働き方を根本的に見直す、などの「働き方改革」が行なわれることが今後のワークライフバランスの柱となるべきである。 
 
 
 
☆コラム (2): 働き方改革と日本の労働の問題点
 
 働き方改革が求められる背景には。日本の労働環境が大きく影響している。長時間労働が当たり前になっている現状、子育てや介護との両立、「正規労働」と「非正規労働」の働き方における処遇の相違、副業など労働の仕方の多様化などである。そのような状況の中ライフワークバランスが職場の問題となってきた。ライフワークバランスとは、すべての労働者の生活と仕事の両立を表す言葉である。もともとは、女性の家庭生活と仕事の両立からはじまり、対象の一般の労働者にまで拡大した。また欧米では、男女を問わず仕事と家庭とのバランスを整えて、家庭が円満であれば仕事にも良い影響を与え、それが個人のキャリア形成や職場ひいては社会貢献にも繋がるという意味で捉えることが多い。
 特に、女性の場合の育児・子育てと仕事の両立、介護と仕事の両立などが切実な問題となっている。例えば、勤務スケジールの不規則な看護師などの場合、ライフワークバランスが上手く取れていないと離職する者が増加し、離職したものを補充するには、人材のOJTなど病院の抱える損失は大きくなる。そのため、長時間労働の是正およびライフワークバランスの実現を目的として2018年6月29日に働き方改革関連法案が成立した。その内容は、①時間外労働の上限制限,②有給休暇の消化義務,③高度プロフェッショナル制度,④同一労働同一賃金の推進を主なものとしたものである。一つ目の時間外労働上限規制の場合、これまで長時間労働が行なわれてきた。その結果、女性の社会進出を阻むことになり、少子化が進行した。それを是正するために、時間外労働の上限を原則として年360時間、労使協定において特別な事情がある場合でも年720時間と決めたものである。例えば、政府目標である女性管理職を増やすために、名ばかりの店長管理職が増加している。この場合、役職手当は支払われているものの、残業代が支払われていないケースが多いが、これによって管理職の職務内で労働をすればよいことになる。しかし、管理職となるとその責任が絶えず問われることになり、問題が生じた場合は「時間超過しましたから失礼します。」では、済まされない世界である。また、日本人の場合、個人の権利よりも職務に忠実であることを美徳と考える人間が多いため制度改革が行なわれてもパートには適用可能であるが管理職には難しいと考えられる。二つ目の有給休暇の消化義務については、これまで本人の有給休暇の希望・申し出があれば与えたものを、希望・申し出がなくても休暇を与えることを企業および事業所に義務付けたのである。これによって、労働者は職場の環境に左右されることなく休暇をとり、リフレッシュすることが可能になる。三つ目の高度プロフェッショナル制度とは、特定高度専門業務あるいは成果型労働制のことをいい、本人が同意していることが条件で年収1075万円以上の労働者である。これは企業の労使関係の決議が必要とされる。高度プロフェッショナル制度規定は今年4月に施行された。なお、高度プロフェッショナル制度の対象となる人に対しては、健康確保を目的として年間104日以上かつ4週で4日以上の休日を確保することを企業に義務付けている。尚、この改革によって、仕事内容、待遇について不合理な格差がある場合、企業は労働者に説明をすることが義務付けられる。実施時期に関して大企業と派遣会社は2020年4月、派遣会社を除く中小企業は2021年4月実施とされている。これに関して欧米では、同一労働同一賃金が主流になっているが、これが日本に根付かない理由としては、日本においては、終身雇用制に見られるように一度、正社員として企業に入社したならその企業で定年まで働くという考え方が未だに根強い為であると考えられる。一方、欧米では自分の能力に合わせて労働者は何回か労働条件の良い仕事に変えていくというのが普通である。また、これまで日本企業は、退職金、賞与、保険、住宅手当などを支払わなくて済むので、アルバイト・パートなど非正規労働者を多く雇ってきた。そして、それをクッションにして利益を上げてきた為、この改革の影響は企業にとって大きい。今後の傾向として企業は有能な人材を中途採用などを通じて正社員として増加させ、非正規労働者の採用を減少させていくことも考えられる。しかし、中途採用の人数は、極めて少ないとと思われる。なぜなら、非正規労働者は企業にとっては、利益を上げてくれる歯車に過ぎないと考えているからだ。 最後に懸念される問題点として本改革法案の運用が、どの程度実行されるかがあげあれる。過労死や使い捨て、ブラック企業問題が未だに起こる現状では、いくら法制度を変えたとしても罰則や監督の弱さがあることから、抜本的な解決にはならないだろう。そのため、多くの課題が残されているといえる。
 

★ヘイトクライム

日本におけるヘイト問題―『新潮45』休刊から何を考えるか― 

杉田水脈衆議院議員が、LGBT(性的少数者)の人々を「生産性がない」などと書いた文章を掲載した、新潮社の月刊誌『新潮45』が、擁護する特別企画「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」で、さらなる批判を浴びた。そのため限りなく廃刊と同義として『新潮45』の休刊を決めた。LGBTへの表現が差別的だとする批判を受けての判断である。
このことは、新潮社の存続に関わる問題でもあるため、休刊にしたことは、妥当である。これまでLGBTに限らず、個人に対するヘイト報道の為に販売店に出ていたものを即刻に回収する手続きが取られたことも何度かあった。それは、同じ基本的人権の中にある表現・出版・報道の自由とプライバシー権が衝突したものであった。しかし、この場合、法律は両者を比較衝量をして弱いものの権利を擁護する立場をとっている。そのためプライバシー権が擁護され表現・出版・報道の自由は退けられるのである。ここでいうLGBTは個人ではないにしても、個人の集まった団体であるため、構成しているLGBTである個人はヘイト発言に対して差別的印象を強く受ける。
ヘイトクライムは、憎悪や偏見に基づく犯罪(憎悪犯罪)である。その憎悪や偏見の理由は人種、民族性、国籍、宗教、性的志向、身体障害等であると言われる。近年日本では差別を助長したり、貶めたりするヘイト問題が注目され、特定の人種や集団にへの不当な差別的言動の解消のためにヘイトスピーチ規制法が制定された。これまで欧米の先進諸国では、人種や宗教、性的指向等への差別や偏見に動機づけられた「差別犯罪」であるヘイトクライムに対し、法的整備を行ってきた。しかし日本ではこれらの法的規制はあまり進んでおらず先進国の中では人権後進国との指摘もある。ヘイトクライムの発生理由は、憎悪や偏見を持つことに代表されるが、これは、内心に留まる限り、思想自体は自由である。また、思想を表現することも、表現の自由として保障される(日本国憲法21条)。しかし、大きな影響力を持っている本が認識不足から行き過ぎた問題の発言を載せると、それは出版・表現の自由ではなく一種の弾圧暴力行為である。日本国憲法は思想・表現の自由は認めているが、但し公共の福祉に反しない限りという限定条件がついている。例えば、自由が認められているから満員電車の中で、車座になって酒盛りをする等の悪ふざけが許されるのだろうか。それは、公共の福祉に反するから許されないということになる。そこで、思想・表現の自由とヘイトクライムとしての犯罪の線引きをどこに置くかが特に重要となる。まず、公共の福祉に反しないかという点では、LGBTの団体があり、それをカミングアウトしている個々の人達がいる以上、公共の福祉に反すると考えるべきである。公共の福祉という視点から見るとこのようになるが、   
一方で、差別的な文章を書くことをヘイトクライムであるとして犯罪として構成し、これを処罰する法律を制定してよいかとなると疑問が生じる。差別的な文章を書くことによって何が害されるかということが問題となるからである。個人的に攻撃されるのであれば、個人の利益としての名誉毀損罪や侮辱罪が構成されるのは当然である。しかし、ヘイトグループが差別的な文章を抽象的に書くことで害される法的利益として考えられるのは、差別・偏見を受ける側のグループの集団的な名誉等であって、個人的な利益ではない。侵害される法的利益が、一般的で抽象的すぎると、処罰範囲が広汎且つ不明確となり、法律が有すべき国民への行動規範の役割を果たさなくなる危険があるからである。この危険性と問題点を解決すべく、ヘイトクライムを取り締まる法律は、ヘイトクライムの対策面のみならずヘイトグループの内心における絶対的な思想良心の自由に配慮し、慎重に制定されなければならないと考える。このような意見は、ヘイトグループの権利と対策のバランスも考慮しなければいけない。
とくに、日本においてはヘイトスピーチに関する定義が曖昧で、差別と区別、批判が同じ言葉の意味で使われている場合もある。「ヘイトスピーチ規制法」の正式名称は、本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律という。注目すべきは、「本邦外出身者に対する」の部分である。言ってしまえば日本に住んでいる外国人という意味である。つまり、日本人だけに「ヘイトスピーチ」を禁止しているのである。
本来、犯罪というのはどこの国の人間であっても適用されるべきものである。この法律によって、規制を受けるのは日本人のみである。加えて日本では多くの場合、「人種差別」と「国の政治やその国籍の人間が犯した犯罪に対する批判」が、同じ意味で「差別」という言葉で表現される。例えば在日韓国・朝鮮をめぐる問題であれば、拉致被害やミサイル発射をめぐる争いがあり、その他竹島問題、朝鮮学校教育無償化問題が存在している。これらの問題について自国民が自発的に政治的批判するのは当然である。しかし、権利として通常認められるべきデモや街宣までもが、しばしヘイトスピーチと表現され、規制の対象となり、表現の自由や言論の自由を奪われてしまう可能性があるということである。場合によってはSNS上での書き込みについても規制の対象となりうるため、一般市民の政治的発言について政府の監視を受けるといっても過言ではない。
日本でもヘイトスピーチを法律で規制することが求められる一方、抗議デモのような市民の自発的な行動に期待し、法規制については少し慎重になるべきと考える。差別的な言動や行動をすることは許されないことは当然であるが、許可を受けた正当なデモ参加者を差別主義者として決めつけることも同時に人権問題なのである。必要以上に市民の自発的な表現活動を自重・自制させるものになりかねないように配慮すべきと考える。

★安全保障政策と日米同盟

安全保障政策と日米同盟

現時点における日本の安全保障の要石が、日米安保条約をベースとした日米同盟にあることは言うまでもない。そして基本的には、日米同盟は、日本が米軍に基地を提供する代わりに米国が日本に対する防衛義務を負うという仕組みの上に成り立っている。安全保障関連法によって動的防衛力の強化が打ち出された後も、日本の基本的に抑制的な防衛政策に変更がない以上、現在でも日米同盟が「安全保障のジレンマ」の緩和に貢献していると考えられる。ただし、当然のことながら、日米同盟は単に日本の防衛のためだけに存在するのではない。日米同盟には、米国の日本の基地利用を通じて、日米韓はもとより東南アジアやオセアニアを含めたアジア太平洋地域全体の安全保障に資する「国際公共財」としての役割が期待されているからである。ここでいう「国際公共財」とは、国際市場の失敗によって生じるものである。通常の市場においては、提供できない財である。その原因は、非競合性、非排除性という財の持つ固有の性質があり、社会構造や歴史的時系列(歴史的時点)の違いを超えて普遍的に存在するものである。国際公共財として一般的に理解されているものには、世界の安全保障、自由貿易体制の堅持、地球環境破壊の防止、途上国への開発援助、累積債務問題に対する対応などが考えられる。ここで、国内公共財と国際公共財を比較してみると、国内公共財は、その国の中央政府や地方政府によってその国の政治的領域に供給される。それに対して、国際公共財は、該当国の政治領土の内外で二つ以上の国の国民によって消費される。そのため、政治的領域と経済的領域が一致しない場合が多い。このことより、国際経済が安定的に機能をするためには、ある種の公共財が必要とされる。それを支えるのがパックス・アメリカーナに代表される覇権主義である。これまでは、社会主義に対するものであったが、社会主義がほぼ壊滅した現在では、世界秩序を乱す国々への制裁である。そのために、アメリカは軍事力で貢献し他の国々は軍事費の負担や軍隊の一部を参加させるというものである。
よって、「二国間同盟だけでは安全保障目標を達成するには十分ではなく、既存の同盟や関係のネットワーク化と同時にアジア太平洋に多国間安全保障協力枠組みの構築が必要である。もともと、大きなものとして北大西洋条約機構であるNATO、日米同盟、米韓同盟やANZUSを中心とするアジア太平洋の二国間同盟があるが、この二国間同盟関係をネットワーク化していくことが必要不可欠である。あるいは、従来の日米安保の枠組みだけではなく、国連や六カ国協議、ARFなどの多国間の枠組みを通じた、より国際的な対話のフォーラムを重視する姿勢が必要であるという指摘は現実的な見方と言えよう。そして安全保障は、軍事力だけに頼るのではなく、包括的な地域戦略として、外交力はもとより経済政策や援助政策など、あらゆる手段の投入も不可欠と言うべきだろう。というのも、経済援助政策はその地域の貧困の除去に大きく貢献できる。これによって、貧困層による暴動や今日権力を持つ軍事政権による開発独裁の出現を防ぐことができ、世界の政治的、経済的安定に繋がる。また、ホルムズ海峡への世界の有志連合の投入は、タンカーの通過する要所であるだけに成り行き次第では、世界的に原油が高騰することも考えられる。そうなった場合、世界的な経済損失は計り知れないものがある。そのように考えると自衛隊のホルムズ海峡への派遣は必要不可欠である。
そうはいうものの集団的自衛権や国連の集団安全保障に関する憲法上の制約があっては、簡単に自衛隊を海外へ派遣をし、求められる自衛隊の活動をすることはできない。また離島防衛は、個別的自衛権に係わる問題なので憲法解釈の問題はないが、現在の自衛隊法の下にあっては、「防衛出動」のように重く、時間のかかる手続きを踏まなければならない。このように手続きに時間がかかり自衛隊が出動できない状態では、緊急の対処は困難である。従って、我が国の防衛力や日米同盟を強化するためには自衛隊の兵器などの物理的な能力向上のみでなく、法制上の整備が必要不可欠であると言える。そうでなければ日本の防衛力や日米同盟を強化することは不可能である。
 

★自衛権についての政府見解

自衛権についての政府見解―いかに国際社会からの要請に対応すべきか―

 政府の解釈の根幹となっているのは、国家固有の自衛権という考え方である。これは、憲法のどこにも書かれていないが、日本が独立国である以上、当然に保有していると考えられる。つまり外部からの武力攻撃によって国民の生命、身体、財産が危険にさらされているとき、国がそれを放置してよいはずはなく、憲法もそのような考えをしているとは考えにくい。この立場は、憲法9条がどのように解釈されても国家には固有に自衛権があると説明する。そのような権利がある以上、国家は自衛のための必要最小限度の措置をとりうると言えるのである。自衛隊は政府の見解によれば軍や戦力ではなく自衛のための必要最小限度の実力だということになっている。そのため自衛隊のやることなすことすべてに、それが「必要最小限度の実力」にとどまっているかどうか、いつも国会などで質問されるのはそのためである。
また必要最小限の実力を越える装備や編成が備われば、自衛隊は戦力に当たることなる。この政府解釈については、「必要最小限度」の意味は時代によって変化するとの指摘もある。しかし軍事技術の進展はめざましくそのため時代によって異なるというのが正しい。この点からみれば、政府見解で保有が禁止されているのは、攻撃型空母などの攻撃型兵器である。核保有については、「核兵器を持たず、つくらず、持ち込ませず」というスローガンを掲げているものの政府の政策決定にすぎず憲法上の要請ではなく禁止されていない。
それに自衛隊は軍隊ではないため、他の国の軍隊とは一味違った制約がある。例えば、自衛隊には、軍法や軍法会議(軍法違反の有無などを判断する特別裁判所)が存在しない。自衛隊の職務上の規律は自衛隊法で定めれているが他の軍刑法に比べると刑罰規定が少なく、また刑罰も軽いという特徴がある。捕虜の引き渡しに関しても捕虜はあくまでも軍人に限られるため、万が一の時に政府が捕虜引き渡しの権利主張を出来るかというと疑問が残る。あと、自衛隊はあくまで自衛のための実力であるため、普通の国の軍隊と異なり「自由に海外に投入・展開できない」という制限もある。(軍隊は戦闘・武力を任務とするため)
これまでも政府は憲法との整合性からその都度解釈変更を行い、国際情勢の変化に伴い国際貢献の名のもとに自衛隊の海外派遣が行われた。ただその際は、物資の補給や輸送などの後方支援に限定され、またその活動範囲も戦闘が現に行われていない非戦闘地域に限られるとされた。日本では1991年の湾岸戦争後、1992年にPKO協力法が制定された。その第一号としてカンボジアに自衛隊が派遣された。ただPKOであっても憲法9条の関係で自衛隊はすべての活動を行えるわけではない。自衛隊は自衛のための必要最小限度を超える武力行使を行うことができないからである。そこで、PKO協力法では自衛隊が国連のPKOに参加するための条件が定められ、武器の使用は参加する自衛隊員の生命の防護のための必要最小限の範囲に限られるとされた。しかし、これには問題がある。相手が撃つ前に撃たなければ殺される状況が戦場である。したがって、武器の使用は通常の戦闘と同じく許されるということになる。文言上でのきれいごとではなく、生きるか死ぬかの現実問題である。2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ後のアフガニスタン攻撃ではテロ対策特別措置法が、またイラク戦争後にはイラク復興支援特別措置法(2003年)が制定され、自衛隊の海外派遣が行われた。ただその際は、物資の補給や輸送などの後方支援に限定され、またその活動範囲も戦闘が現に行われていない非戦闘地域に限られるとされた。これまで他国軍への後方支援は特別措置法としてその都度認められていたが、2015年に恒久法として、国際平和支援法が制定されたことで、今後は随時行えるようになった。またPKOについても他国軍やNGOが危険にさらされた場面においては武器の使用が認められる駆けつけ警護が認められた。これは南スーダンのPKOに派遣される自衛隊に新任務として追加された。これは戦後70年の節目で大きな変化となったと言える。政府は現実問題として自衛隊という事実上「軍隊に近い」組織を持ち、アメリカと日米安全保障条約を結び、アメリカの世界戦略の一翼を担っていると考えられる。
 しかし、実際の場面で、後方支援とは前線(実際に戦っているところ)と後方との区別により、武器の提供はダメだが輸送は構わないという不明確性があり、アメリカなどが戦っているところに輸送を手伝い、でもこれは後方支援だから武力の行使ではないというスタンスであって他国から見れば立派な戦争協力に考えられてしまう。さらに支援ルートを断ち切る作戦に相手方が出た場合、それに応戦しなくてはならなくなる。よって自然と戦争に参加することになる。それに医療支援なども含まれ、医療支援は特に負傷兵への対応が求められるため戦闘地域であっても一部求めるべきとの意見もある。これまで国民に対する理解を求めるため憲法上、政策上、自衛隊に様々な制約を加えてきたが、ここにきて憲法改正国民投票法(2007年)が制定されるなど憲法9条改正が盛んに主張され始めている。今後、我が国には憲法改正も含め、自衛に関して国際社会からの要請にいかに貢献するかが求められる。

★ 死刑制度に犯罪抑止力があるか

死刑制度に犯罪抑止力はあるか

我が国では、死刑を無くすと犯罪が増えると考えている人が世論調査でも多数を占める。また死刑には犯罪抑止の効果があるとされているが、現在までのところ死刑に犯罪抑止力があるとする科学的証明はなされていない。ところで、1989年に国連の死刑抑止効果の検証では、死刑が終身刑より大きな犯罪抑止力になることの科学的証明はできなかった。さらに、欧州評議会人権委員会による1998年の大規模な調査では、死刑が無期懲役に比べてより大きな抑止効果があることを科学的に証明することができなかった。その他の研究結果を見ても少なくとも死刑の存在が殺人発生率の増減に関係ないとする方向は示されている。以上のことを考慮にいれると、このような不確かなデータで死刑抑止力があるかのごとく見せかけて死刑存置の根拠とすること自体が問題であると言えそうである。人を殺す者は、ある時は激情犯であり、ある時は計画的犯罪者である。しかし、いずれも死刑があるから殺人をやめようとするような冷静な判断が不可能な状況下で発生する。中国では一人を殺して死刑になるなら自分の命の重さを示す意味で複数名を殺して処刑されれば割に合うとの思いで大量殺人を犯すことがある。一方で大阪児童連続殺傷事件にみられるように凶悪事件の犯人の中には、死にたいが自殺をする事ができなかったり未遂で終わったために、殺人等の重大な犯罪によって死刑を望んで事件を引き起こす間接自殺の殺人がある。このように死刑があるためにおきなくてもよい殺人が起こるとも考えられる。このことは死刑があることによって犯罪が発生することを示している。以上述べてきたように死刑には明確な犯罪抑止力はないと言える。そうなると捉え方によっては、電車自殺と同じように一瞬で終わり苦から解放される死刑より、生涯自由を奪うことによって罪を償う仮釈放のない終身刑の導入も今後検討すべきである。

★米国不法移民の問題

米国の不法移民問題

 米国の不法移民問題とはどのようなものか。ヨーロッパを中心に西欧諸国では移民を受け入れている国も少なくない。しかし、移民による犯罪や治安の悪化などが問題視されている。また一部には米国への日帰り労働者の受け入れがある。特にメキシコからの国境付近にあるフロリダ州、イリノイ州では、国境を越えた日帰り労働が可能である。
 不法移民問題の本質は不法に入国してくることである。仮に不法入国できても身分を証明する書類がないため身分証明が必要であるまともな仕事に就くことはできない。そのため不法なビジネスの事業者やブラックな労働環境で働くことになる。不法入国のため労災や保険への加入はできない。雇用が不安定で危険を伴うような肉体労働に就き、保険がないため職を失い収入が途絶えると、結局は窃盗などの犯罪を行うようになる。
 米国は日本よりもいち早く個人番号制度を導入している。そのため管理・監視社会としては日本よりも進んでいるが、不法入国者には当然個人番号が与えられない。子どもがいる場合には仕事だけでなく就学の問題も出てくる。個人番号が与えられないことにより、正規の学校教育を受けられない。その結果として犯罪や非行に走ることが治安悪化に拍車をかけている。何より自身が劣悪な環境下にあっても専門機関に訴える権利がない。また不法移民が一斉に摘発されると被害者になるのは当人達だけではない。雇用している事業者や産業そのものにも与える影響は大きい。ジョージア州では農業従事者として不法移民を低賃金で大量に雇用していたが、強制送還によって農業従事者が急減し大きな痛手を負った。不法移民と知って雇う事業者がいることも問題であるが、根本的な原因として安価な労働力に依存しなければ成立しない産業構造に問題がある。それゆえ、早急にそれを是正することが必要である。

★地方自治と民主主義のあり方

人口減少時代における地方自治と民主主義のあり方
―憲法の現状および改正問題をふまえて―
憲法改正といえば平和主義を唱える9条の改正がメインで議論される場合が多くなっているが、地方自治についても様々な環境変化が生じ現行憲法の修正が必要とされる。
現在、辺野古移設訴訟など地方自治に関わる問題が多く発生していて、現行の憲法を改正しないかぎり法的に整合性がとれない判決が下されている。地方自治については、憲法92条、93条、94条で述べられていて、住民投票については95条で述べられている。これに関して、住民投票と地方自治という視点から述べる。
現行憲法で地方自治についてみると、憲法92条で、地方自治体の組織や運営に関して、法律で定めるとしている。また、地方自治の本旨は団体自治と住民自治である。ここでいう、団体自治とは地方自治体が国から独立して自主的に運営されること、つまり、中央政府から一方的に指示、命令を受ける存在ではないということである。一方、住民自治というのは、地方自治体の運営が住民の意志に基づいてなされているということである。このように92条で地方自治の本旨を明確にしているものの現実には、かなりかけ離れたものになっている。その一つとして、住民投票をとりあげてみたい。
地域住民の地方政治参加、財政支出抑制、生活に関わる環境保全のために住民投票は必要不可欠である。すなわち、住民の生活に直接関係し様々な影響を住民に及ぼす政策や状況に対して住民自治の視点から住民投票は重要である。特に国からの政策補助金を支給されて原子力発電所の誘致や軍事関連施設の誘致等については、国の一方的な補助金による支配ではなく住民の意見を聞き、その意見を尊重する必要がある。しかしながら、国は自治体に対して補助金を支給し、国策として必要とされる施設等を腕力でもって地方自治体に押し付けているのが現状である。その事例として過去において新潟県巻町(現新潟市西蒲区)で町を二分しての住民投票が行われた。当時の佐藤莞爾町長が原発予定地中心部の町有地を東北電力に売却しようとしていたに対して、強引に原発が建設されることに危機感をもった住民たちが原発反対の声を出した。1995年2月に原子力発電所計画の是非を求める自主管理投票が行われて建設反対派が圧勝した。一方、計画の凍結解除を掲げた佐藤町長が、法的根拠なしの理由で、町有地を売却しようとした。これに対し、リコールの請求署名運動が1995年10月におこり、佐藤町長は解職された。その後の選挙で反対派である笹口孝明氏が当選した。そして、笹口町長のもとで原子力発電所計画の是非を問う、条例制定による日本で初の住民投票が96年8月に行われ反対派である住民が勝訴した。東北電力の買収・供応、利益誘導、締め付けと、国も乗り出しての激しい切り崩しがおこなわれたが、投票率が89%に及び、反対が61%(一万二千四百七十八人)を占め、賛成の39%(七千九百四人)を大きく上回る結果となった。途中で紆余曲折はあったものの、東北電力は2003年12月に原子力発電所計画を撤回して、2004年には、原子炉設置許可申請もとり下げた。このように住民投票の結果の影響は大きかった。住民投票によって原発計画が断念されたのは、稀有な出来事と言ってよい。これは住民の意思が動かした事例である。原子力発電所の場合、事故が起こって実際に被害を受けるのは、福島第一原子力発電所メルトダウン事故にみられるように地域住民である。このあたりの事情を踏まえて住民投票の評価を憲法の中にはっきりと盛り込むべきである。ところで、地方住民の住民投票に関して憲法では、第95条で「一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない」としている。つまり、憲法95条の規定は、特定の自治体だけに適用される法律である地方自治特別法を制定するためには、住民投票で過半数を得ることを要求している。そもそも、95条が適用されるべき法律は、国による恣意的な採決により成立し、その結果、特定の地方自治体の組織運営に不利益をもたらす場合が多い。そのため、普通の法律であれば憲法59条で謳っているように「法律案は、この憲法に特別の定めのある場合を除いては、両院で可決したとき法律となる」が、国全体からすれば少数派である特定の自治体に不利益となる法律を国が安易に制定できないように憲法95条の条文をおくことによって楔を打っているのである。つまり、憲法は住民投票という特別の手続きをおいて地方自治特別法をチェックしているのである。
次に、海外との条約、協定がある場合、自治権が制約される場合がある。これに関して、辺野古基地建設訴訟と自治権の関連についての裁判所の判断を見ると判決では、新基地建設に伴う自治権の制限は、「日米安全保障条約及び日米地位協定に基づく」とした。その上で「普天間飛行場が返還されることに照らせば、基地建設は92条に反するとは言えない」としている。司法のこの判決の態度からすれば、日本とアメリカの間で協定を締結すれば憲法で希求されている住民投票がなくても自治権が制限されてしまうことになる。このことは、沖縄など他の自治体にも共通することである。そのため、この点を憲法にしっかりと盛り込んで92条を改憲すべきであると考える。また、このように国や裁判所が憲法に違反して自治権を制約していないかどうかを国民は絶えずチェックしていくことが重要である。さらに改憲が必要なところとしては地方自治に関する条文を住民に修正する必要がある。その際、地域における住民の自己決定権を保証することが求められる。そうすることで、憲法が保障する地方自治の本旨が実現し、地方の活性化につながると考える。

★日本の行政国家現象が進む背景

 
日本の行政国家現象が進む背景

現代社会において国は、経済情勢や社会情勢などの変化に対し、迅速に対応することが求められている。勿論、日本も例外ではなく、立法府である議会で法を制定し、それを行政府が執行するという手順を踏むことが基本だが、緊急を要する場合は、そのような手順を踏むことで対応が手遅れになるケースもある。
 例えば、近年では、2001年のアメリカ同時多発テロ以降、世界中で様々なテロが頻発している。また我が国においては、2011年の東日本大震災、2016年の熊本地震など、未曾有の災害に複数回見舞われた。
 こうした一刻を争う状況下では、統一的かつ一貫した指針の下、迅速な行動が求められる。また、状況を打開するには、少しでも早く対策を講じることが必要不可欠であり、対策を遂行するためには多様な任務が発生する。通例、議院内閣制においては、上述のとおり議会で国政の基本方針が決定され、国債などの発行を通じて予算が決定し資金運用部にある資金が国債引き受けに利用される。それに基づいて行政府が執行する。しかし、議会とは、基本的に多数の議員が参加し多様な意見を出し合ったうえで多数決をもって採決される機関である。非常に民主的で、公平な判断を下すには有効な機関ではあるが、迅速な行動は期待できない。ましてや今日の日本のように自由民主党一党の勢力が強い場合には、野党が決議に参加を拒否し話し合いと反対投票数が自然と少なくなる。
国によっては、緊急事態に対応するために平常時と異なる権力行使を行う、いわゆる国家緊急権についての規定が設けられている。しかし、日本国憲法には、国家緊急権に関する規定を置いていない。また、緊急事態とまではいかなくとも、常に時代の変化に迅速に対応しうる体制を敷いておく必要があるし、多様な業務も全うしなくてはならない。
我が国においても、少子高齢化をはじめ、環境問題、待機児童、所得格差など解決すべき課題が山積しており、迅速な対応が急務となっている。これらの問題をみても、国家の活動領域は、医療・年金・公的扶助といった社会保障制度の充実、住宅・道路といった公共事業の運営、エネルギー・交通・通信をはじめ公企業の経営、教育・文化施設の整備、産業の保護・育成などきわめて広範に及んでいることがわかる。
しかし、国家が担うべき仕事の量や幅が拡大する一方で、立法府である議会(議員)はこれらへの対応能力が高くない。こうしたことが相まって行政権の拡大・強化につながった。日本の場合、景気低迷期の2001年に発足した小泉内閣が強いリーダーシップを発揮して、公営企業の民営化など数多くの構造改革を断行した。また、2012年に発足した第2次安倍内閣は、長期間続いたデフレを脱却することを目標に①財政出動、②金融政策、③成長戦略を核とする「アベノミクス」と呼ばれる経済政策を掲げ、量的緩和政策の継続、マイナス金利政策など異次元的緩和政策などの金融政策をはじめ数多くの政策を講じていった。これらの政策によって、長く続いたデフレから日本経済は息を吹き返した。さらに、第二次安倍内閣はTPP参加の決定を実行し、さらに、これまで農業政策を行う際に全国の農協を支配し政治に圧力を加えていた農業協同組合全国中央会(全中)から、地域農協への指導・監察権を廃止した。そのうえで、全中を農協法上の組織から一般社団法人に移行することを中心とした農協改革を行った。ただ、これら一連の政策は国民からの受けが良く手をつけやすいもの例えば、中央行政組織の統合・再編成は行われた。しかし行政の大きなリストラクチャリングを伴わないものが中心であったため、内閣機能の強化は実際の担い手である行政にとって都合のよい政策に取って代わり、行政主導権をかえって強くした。しかし、結果として、それを行なったことで、より迅速に現状打開への突破口を切り拓くことができたともいえる。以上述べてきたように国家の迅速な問題対応に対しては、強い行政主導と首相の強いリーダーシップが必要である。
 

★憲法9条と日米同盟

憲法9条と日米同盟のゆくえ

アメリカのトランプ大統領は、「日米安全保障条約についてあまりに一方的で不平等な条約だ」と発言をした。6月25日のインタビューでは、日米安全保障条約はアメリカに日本を防衛する義務を課しているのに日本の米国防衛の義務がない事を指摘し、条約破棄の可能性を示唆した。さらに、ホルムズ海峡を巡るタンカーに関しても各国が自衛をすることを強く求めた。その理由として日本を防衛するために必要とされる多くの予算、戦争装備などがかかることをあげている。確かにトランプ大統領の発言のとおりである。日本は憲法9条を盾にとればいかなる最新の装備があったとしても戦力がないと同義なわけだから、事実上アメリカを防衛することが出来ない。このトランプ大統領の発言は、日本への防衛費の上積み要求とも取れる。これに対して安倍首相は、「トランプ大統領には様々な機会に、平和安全法制によって日本を守るために共に助け合える同盟になったという話をした」としてトランプ大統領の発言に表向きは動じない反応を示している。しかしながら、現実には、アメリカのほうが地位的に日本より上にたっており、さらに日本防衛を辞めてもらいたくないため、日本はアメリカより弱い立場にたたされてきた。このことは日本の防衛費を巡ってアメリカから言われるがままに応じてきた一方で、政府は国民に対して米国は日米同盟にのっとて日本を防衛しているとしてきた。過去においても1972年の沖縄の日本返還についても国民には米国から返還されたものと伝えながら、実際は多額の費用でアメリカから購入したもの(有償返還)であった。このようにみると日本政府は、お金を出し、軍隊については日本の防衛をして頂くという軍事における外部委託つまり軍事のアウトソーシングをアメリカに行なってもらっているのである。もし、日米安全保障条約をトランプ大統領が破棄したら日本は現在アウトソーシングをしてもらっているものに匹敵する(同等の)軍事力を独自に持たなければならなくなる。そうなるとこれまで、「日本国憲法第9条の平和主義」を誇りとしてきた日本が根本から軍事力、言い換えれば戦力を持つ国に早変わりをすることになるだろう。しかしながら敢えて言えば、日本はこれまでアメリカ軍という戦力をアウトソーシング(外部委託)してきたのである。それは、日米安全保障条約があったため外形的にみれば日本は戦力を持っていないとしてきただけであった。つまり、戦力を日本は持ちながら、憲法9条を引き合いにいつも出して形式上戦力はないとしてきたのである。また、憲法9条があるために日本はこれまで海外との国際軍事協力に際して、海外との軍事貢献をしながら国内では憲法9条を守るというダブルスタンダードに立つ政策を行なってきた。そのため、イラクへの日本の自衛隊の派遣に際しても、憲法の前文を上手く拾い上げて自衛隊派遣の合憲性を述べた。このようにみてくると憲法9条にしがみついていると緊急に自衛隊の軍隊としての役割が世界的に求められる時、そのたびごとにつじつまを合わせるため政府の憲法解釈を変えざるを得なくなってくる。それも恣意的に無理な憲法解釈をしたり、強引に多数決で議会で決定したりという方法をとってである。このように自衛隊の存在は国際協力のたびごとに変わっていくのである。
ここで、トランプ大統領が問題としている日米同盟のもとになっているものを見るために、日米安全保障条約とは何かというところからみていこう。日米同盟は日米安全保障条約を機軸とするものであり、日米安全保障条約とは、1961年未締結されたもので、その前文に「日本国およびアメリカ合衆国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛固有の権利を有していることを確認し、両国が極東における国際平和及び安全保障の維持に共通の関心を有するとしていることを考慮し、相互協力及び安全保障条約を維持することを決意し、よって次のように協定する。」としていて、日米安全保障条約の目的および主旨が述べられている。具体的に関係ある条項を見ると、第3条では、「締約国は、個別的に及び相互協力して、継続的かつ効果的な自助及び相互援助により、武力攻撃に抵抗するそれぞれの能力を憲法上の規定に従うことを条件として、維持し発展させる。」としていている。これは憲法上の規定すなわち日本国憲法第9条に従うことを条件に維持することができると解釈できる。そして、第4条では、「締約国は、この条約の実施に関して随時協議し、また、日本国の安全又は極東における国際の平和及び安全に対する脅威が生じたときはいつでも、いずれか一方の締約国の要請により協議する。」そして、第5条では、「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。」さらに、第6条では「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。」としている。このように日本を守るという条件のもと基地等の使用を認められているということ、脅威などの問題が生じたときには双方で協議をし、双方の憲法にのっとって対処していくというものである。理想的な安全保障条約、日米同盟の条項である。しかし、これを継続していく為には、日本防衛のために要する費用を日本政府は米国に支払わなければならない。そうしないとアメリカは経済負担が重くなってしまう。ここで米国と日本との財政政策の相違について触れてみるとアメリカ型の財政政策は軍事支出型であり日本型の財政政策は公共支出型である。米国型の財政政策が有効であるためには、世界の紛争、緊張があることが必要である。それによって戦争資材、機材の生産に需要が増加し戦争資材器具、車両などを生産する企業は安定的な業績をあげ、景気の安定にも一役買っている。また、徴兵制があることによって若者は軍隊という職場で一定期間、働くため失業者の増加をおさえ込んでいるのである。さらに、紛争等に対応することで利権や資金を獲得している。このことが米国の経済政策の根幹にある。一方、日本はといえば、財政政策は公共事業などへの支出による公共支出型である。この政策によって社会インフラを整え、企業への投資を増加させ景気安定を図っている。また、日本は国家予算において防衛軍事力の多くはアメリカ軍駐留費という形で支出している。そのほか、アメリカからの軍事物資の買い入れにも応じている。このようにみると日本の予算にアメリカ軍の駐留防衛費用が含まれ年々増大する傾向にある。このようなことから考えると、ある意味でトランプ大統領からの日米同盟の解消のモーションは、アメリカ軍の駐留防衛費用の上積み要求と考えられる。しかしながら、この悪循環を繰り返していては日本の軍事的独立はいつまでたっても果たされないことになろう。また、駐留軍事費引き上げでお金を出せば解決する問題であれば容易であるが、本格的にアメリカ駐留軍が撤退するということになれば日本の防衛を行なう為にも自衛隊の軍備強化を早急に進めなくてはならなくなるだろう。
  もう一つの早急の課題としてアメリカから突きつけられているものは、イラン状勢緊張の高まりにつれて、ホルムズ海峡航行中のタンカーをはじめとする船舶を自国で守るというもいうものである。この背景には、アメリカの過重負担を嫌うトランプ大統領の意向が大きく働いていているため、関係各国に対して応分負担を求める姿勢を示したことが上げられる。しかしながら、日本が直ぐに自衛隊を派遣できるかというと簡単には対応できない。というのも、2016年に施行された安全保障関連法によって自衛隊の活動範囲は広がったものの、派遣に関しては様々な制約がある為である。例えば、国際社会の平和と安全を脅かす事態が発生した場合、多国籍軍が事態の対処にあたることになっている。日本も国際協力の立場から多国籍軍を支援することになる。原則として自衛隊は、武力行使に相当する活動はできないので給油や物資輸送などの後方支援をすることになる。このことが、国際社会からこれまで、日本は本格的に多国籍軍に参加しないとか日本はお金だけ出して参加しないなどと揶揄されてきた。現実的には、空爆に向かう飛行機への燃料給油などである。しかしながら船舶、航空機への給油だけとだ言っても攻撃、爆撃を幇助していることには変わりない。言い換えれば、アメリカ空軍機が爆撃すればそれを燃料給油という形で手伝った日本も加担したということになる。そうなれば、自衛隊が敵国から攻撃されることもある。そのときは、自衛隊は攻撃してくる敵国に応戦して撃墜することもできる。これは、憲法上では許可されていないが刑法でいう正当防衛に当たる。日本近海では、2001年北朝鮮の不審船が発見され警告を繰り返したけれど銃撃をしてきたため、日本の海上保安船が発砲をし不審船を撃沈するという事件が起きた。これについて裁判では正当防衛の判断が下された。このように国際協力で自衛隊が参加した場合、敵国より銃撃を仕掛けられるケースもある。このようなケースに至るまでいちいち正当防衛を立証していては、国際協力としての役目が果たせなくなる可能性がある。今後の方向性を考慮すると憲法9条を改正し、日本に自衛隊という正式な軍事力があるということを明記すべきである。そうすることによって、国際協力の場面では積極的に自衛隊を海外に派遣を行うことが可能になる。また、日米同盟が破棄されて日本が独自で国の防衛をする場合もスムーズに日本国防衛軍事力として自衛隊はその役目を果たすことができる。以上述べてきたように現代は日本をとりまく極東における国際情勢が大きく変化している時代である。このような状況に対応する為には、日本独自の軍事力を持つことが必要不可欠である。しかしながら、憲法9条を変えることは現在の状況においては難しい。また、アメリカもそれを望んでいないと考えられる。事実、今回の2019年参議院議員選挙の結果、改憲に向けて積極的な姿勢を示している勢力が国会発議に必要とされる164議席(参院定数の3分の2)をとれなかった。しかし、これで自衛隊の軍隊としての存在規定が消えたわけではない。その理由として第一に世論から国民の半数以上が自衛隊の存在を必要であると考えていること。第二にアメリカに対して日本政府はNOと言えないこと。かつて、羽田首相が日米首脳会談でNOとアメリカに発言したためにアメリカが総力戦で超円高を羽田首相が日本に帰国するまでに意図的にすすめたことがあった。結局日本政府はアメリカの要求をのむことになった。このように考えると今回もアメリカがホルムズ海峡などでの有志連合への参加を求めている。しかし、憲法9条があるため日本が積極的にYesといってこないのは計算づくである。そこで日米安全保障条約に基づく日本の防衛と交換条件を裏取引では出しているものと考えられる。そのため、歴代の首相がそうであるように、この有志連合へのアメリカによる参加に関して日本を安全保障条約によって、守ってもらっているという弱い立場にあるため、参加を了承せざるを得ないであろう。そのため、安倍首相は国会で参加を行なうように腕力で議決を行なうか、憲法条文を都合の良いように解釈をし自衛隊の派遣を承諾する可能性が大きい。それにより憲法9条の制約は解決できるであろう。 みてきたようにアメリカとのつながりは非常に強い。そのため、アメリカへの日本の協力は必要不可欠である。その場合、理想的なのは憲法9条を変更することが一番望ましい。もし、変更することが困難な場合は、国家での強行採決、憲法前文を上手く抜き出して自衛隊の9条による制約を解除し、集団的自衛権や国会によって定める特別法の適用によって自衛隊の海外での活動が可能になると考える。  

       
       
            

江戸の誘惑

テーマ:江戸の誘惑―戦略としてのクールジャパンを考える―
 
東京オリンピックに向けて、海外からの日本への興味はますます高まっている。日本の文化や産業が海外で人気になることは日本経済への寄与につながるため、政府はクールジャパン戦略を進めている。クールジャパンとは、日本の文化や商品が国際的に評価されている現象、あるいは海外に発信したい日本の製品や文化のことをいう。政府は減少していく内需を危惧し、クールジャパン戦略によって外需を高めて経済成長につなげようと考えている。つまり非戦略的に海外で評価されてきた日本の文化・産業を、戦略的に対外ビジネスとして展開していくものである。ここで、クールととらえる日本の魅力や独自の美意識を検討しておく必要がある。以前、葛飾北斎を例として日本の美意識について検討した。今回は葛飾北斎「唐獅子図」(1844年)に特化して考えたい。
 唐獅子図を見て、まず飛び込んできたものが獅子の力強い目線である。それにより、私の心は鷲摑みにされ、一気に作品に引きつけられた。そして、作品をよく観察するうちに、この作品が異質なものの共存によってその魅力を放っていることに気づかされる。
 一つ目の対立軸は、その力強さと緻密さである。獅子の毛が弧を描いていること、円の中における反転したかのような獅子の配置、角度的には描く必要もないと思われる左足の描写、力強さの象徴のような鉤爪。躍動感あふれる描写に、獅子そのものが持っているイメージがかけあわされて他に類を見ない力強さを示している。その一方で、周りの花々や獅子の色の濃淡などに見られる表現技法の緻密さも目を見張るものがある。花々は一見獅子のイメージと混じりあって豪華絢爛の様相を呈するかと思いきや、色彩は落ち着いたトーンを示しており寡黙な鮮やかさとして獅子をサポートしている。獅子に関して緻密さを見るのは一見矛盾しているようにも思えるが、緻密な表現技法があるからこそ先に述べたような力強さが生まれるということに、肉筆のレトリックを見ることができる。
 二つ目の対立軸は、観賞する者と作品との距離感である。冒頭で述べたように、獅子の力強い目線は見る者の心に訴えかけてきて、一気にその作品の世界観に引き込む。そして、一つ目の対立軸で述べたような魅力にしばし釘付けになるが、ここでは、周りの花が重要な役割を果たす。つまり、獅子の世界と現実世界との境界線の役割を演じているのである。獅子の魅力から少し離れ、周りの花へと目を移した瞬間、見る者は圧倒的な距離感を感じる。このことは、獅子が単色で書かれているのに対し、花は多様な色彩によって描かれていることからも窺える。また、花の色彩はあくまで淡色で終始しているため、作品としての統一性を失わないのである。
以上、二点から唐獅子図について論じてきたが、最後に異質な物の共存というキーワードからまとめてみたい。異質だけれど最終的には調和する概念と最先端の美意識が見て取れる。この作品を鑑賞する上で、獅子にひきこまれた最初の鑑賞態度を主観的と表現するならば、その後は客観的な鑑賞態度で作品を味わうことができ、二通りの鑑賞ができる。異質なものを共存させる技法自体は新しいことではないが、北斎は獅子の目に仕込んだからくりで時間軸という新しい軸を用いてそれを表現した。そこに、北斎の奥深さを感じずにはいられない。これは、単なる共存ではなく、どこにもない独自な世界観であり、それほどに独自で深い美意識なのだ。多様性を受け入れると同時に、その融合が日本の文化そのものと言える。そしてこの日本の美意識に未来の世界を示唆する秩序感があることを感じた。これが、クールジャパンの魅力であろう。

 
画像 唐獅子図 (アメリカ ボストン美術館)
足立区綾瀬美術館 annexより引用

★職業とジェンダー

職業とジェンダーの関係について
 
ジェンダーという言葉はさまざまな使われ方をされることがあるが、一般的には、「オス、メスといった生物学的な性のあり方を意味するセックス(sex)に対して、文化的・社会的・心理的な性のあり方を指す言葉」とされる。しかし、職業との関連でジェンダーを説明する際には、そのような中立的な意味ではなく、差別的なニュアンスを含んだものとして使われることが多い。「男性が上で女性が下、男性が支配して女性は従う」といったもので、これはジェンダー・フリーの論議でも同様である。
ジェンダーと職業との関連で問題となるのは、とりもなおさず女性の社会進出に関するものである。戦後、サラリーマンの増加にともなって、人々のライフスタイルが大きく変容した。その後、女性の社会進出はかなり進んでいった。その一方で日本では性別役割分業の「肯定」は特に20代、30代の若年層で依然として高く、加えて性別役割分業について「わからない」とする回答が他国より群を抜いて多い。その割合は他国の2倍以上に上るとの指摘もある。すなわち,日本においては性別役割分業観からの解放が,人々の間でそれほど単純には進行していないということである。確かに、性別役割分業に積極的に「賛成」する者は減少しているのかもしれない。しかしその流れは「反対」のことを積極的に唱える者の増加には結びついていないと言える。これが日本の現状である。しかし、日本的特徴として男性と同様に働く女性の姿がいまだにイメージされないために、働く女性の存在が軽んじられる傾向にある。『日本人のセクハラ』に記載された日本とアメリカの企業の交渉の例をみると、アメリカ人女性がプレゼンテーションをしている最中、日本人の男性は全く耳を傾けないのだという。それでは困るからと、別のアメリカ人の男性が全く同じことを話す。すると、それまでボーッとしていた日本人男性たちは真面目にメモを取り始めるようになったということである。このように女性労働者に対する両国の見識の違いが見て取れる。しかし、近年ではダイバーシティマネージメントを採用する企業も増加していて、女性を契約交渉の前面に立たせる場合もある。これは合理的、無駄を省くといった女性の特性を利用したものである。今後、このような人材登用が進んでいくものと考える。
 このような雇用が進んできた背景には、一般に「ジェンダー・フリー」の考え方が進んできたものと考えられる。ジェンダーフリーとはジェンダーにとらわれず個々人が自分らしく個人としての資質に基づいて果たすべき役割を自己決定できることをいう。
この考え方に基づいて男女雇用機会均等法や労働基準法が成立し、これらの法律は雇用管理区分内での女性差別を禁止して、女性の労働環境を保護するものとなっている。具体的には事業主が、募集・採用、配置・昇進、教育訓練、福利厚生、定年・退職・解雇において男女差をつけることが禁止されている。
こうした法による取り組みは雇用関係においては一定の効果を発揮したが、あくまでも形式的なものにすぎなかった。真のジェンダー・フリーを実現させるには、男性らしさ、女性らしさといった根本的な問題に対峙し、私たちの身近な生活にまで及ぶ広範な対応・規定が必要である。ジェンダーは人間の意志によって変更を加えることができるものである一方、変化しづらいという側面も持ち合わせている。
というのも、私たちが暮らす社会環境は、ある程度ジェンダー化されているものである。そのために、ジェンダー役割を要求される社会的環境のなかで行動する場合には、その要求に従った振る舞いや発言を行うことで相互行為が円滑に運ぶことのほうが多い。さらに、ジェンダー化された社会規範を内面化している人にとっては、男らしく(または女らしく)振る舞ったりすることが自明視されているために、それに反する行為を選択することは考慮に入れられていない。そのうえ、自らのジェンダー行為の再生産に気付かないこと、リスクの低減という利益を得ることの合理性の存在など、ジェンダー議論は、私たちの日常生活そのものに問いかける実に根の深い問題であり、その存在を一概に否定できない。
これまでの女性労働の議論は、その特殊性にこだわりすぎていたと思われる。そのため、労働と家族を結ぼうとした点や性別分業体制を見据えようとした点に強調がおかれてきた。女性は、家事・育児を担いつつ労働市場に参入する二重の困難を抱えている点で特殊化されている。しかし、共働きの家庭が増加するにつれ、一概に育児を担当するのが女性であるとは限らない。その場合の男性の権利はどのように扱うべきなのか。このようなライフスタイルの変化にともない親の家事・育児援助に頼ることが難しくなるとともに男性の家事・育児参加の重要性が高まりつつある。加えて高齢人口の増加と家族規模の縮小によって、女性だけでなく男性においても介護や仕事との両立は切実な問題となっている。その解消のため、ワークライフバランスの観点から企業は短時間勤務や柔軟な勤務体制など家庭生活と両立しやすい働き方を導入しようとしている。そうすることで女性だけでなく家庭生活と仕事との両立課題をもつすべての労働者を対象に両立支援を拡大することで状況を好転させる狙いがある。また男女共同参画社会の推進を目的として2020年までに国会議員や企業管理職の3割を女性登用することを政府目標としている。しかし、女性登用を急ぐあまり場合によってはアファーマティブアクションのもたらす逆差別の弊害の可能性まで発展することもある。もちろん、現実の女性の労働市場への参入は結婚・出産などとは不可分である。しかし性別分業構造が前提とされ、これを不問に付すことは、ジェンダーの問題を本質的に解消することにはなりえないのではないかと考える。
参考文献
C.ブラネン・T.ワイレン著『日本人のセクハラ』(1994,草思社)
木本喜美子著『家族・ジェンダー・企業社会』(1995,ミネルヴァ書房)
木本喜美子/深澤和子 編著『現代日本の女性労働とジェンダー』(2000,ミネルヴァ書房)
池田心豪著「ワーク・ライフ・バランスに関する社会学的研究とその課題--仕事と家庭生活の両立に関する研究に着目して」 (特集 ワーク・ライフ・バランスの概念と現状)日本労働研究雑誌 52(6), 20-31, 2010-06 労働政策研究・研修機構 
社会学の具体例
志望理由所の書き方と留意点
進研アカデミー 
グラデュエート大学部
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